見たまま歌舞伎随筆

平成生まれ。素人視点であれこれ語ります。 思ったこと気付いたことを綴ります。喧々諤々と話しましょ!

令和元年五月 團菊祭 昼の部(3)

昼の部最後は菊五郎劇団総出の『め組の喧嘩』。

菊五郎の辰五郎は相変わらず粋な男になっていて素敵。鳶頭の貫目も備わっているので、万事託しても安心できる辰五郎だ。

時蔵のお仲に肚を明かしてからは、愛嬌も混じりながら理屈抜きの颯爽とした男ぶり。

 

ただ気になることが一点。菊之助の藤松について。啖呵をきるような勇ましい役をしながら、夜は大曲『京鹿子娘道成寺』を演じる。九代目團十郎も演じたれば「娘道成寺」は真女形のみの役ではなく、立役の役者が加役として扱っても問題はないと思う。(菊之助は加役云々というより女形が本領ではあると思うが。)

ここで言いたいのは、昼に勇み肌のおあにいさんを演じては、(夜に大物の「娘道成寺」を演じる役者として)女形芸が荒れますよ・・・ということ。役者が足らないのか、松竹もその辺の配慮がないのか。こうした時こそ他の役者を引き立たせてほしいものだ。(ずっと私は彦三郎にもっと良い役をつけてほしいと思っている。あれほど口跡優れた人はもっと評価されて然るべき。)

 

令和元年五月 團菊祭 昼の部(2)

随分記事アップに間が空いてしまった。

本業が物書きの人は大変だね。不精な私には出来そうにもない。

 

さて、「團菊祭」昼の部・二幕目は海老蔵の弁慶で『勧進帳』。真っ先に思い出したのは、平成26年5月の歌舞伎座で同じく海老蔵が所演した時のこと。後にも先にもあれだけ大熱演はちょっと思いつかない。「祝詞」あたりから既にセリフを張り上げ、(ケンカ腰すぎではないか?と思ってしまうくらい)「山伏問答」にかかる頃には一段とギアチェンジしていたので、もうこのペースで行くならば、破綻するとヒヤヒヤしながら見ていた。

その2ヶ月前にも実は『勧進帳』が出ていた。(吉右衛門の弁慶・藤十郎義経菊五郎の富樫という現代最高のものとして、私自身の鑑賞眼はこの所演が規範となっている。)それも、「荒事」と「実事」の配分が絶妙としか言いようのない弁慶だった。

つまり、「歌舞伎」の演技としての枠組みを逸脱した(役柄として表現しようのない)熱演一方の「ナマ」な手触りの海老蔵に対し、ある抵抗感があった。しかし、面白いものでペース配分など考えない芝居はそれはそれで一種の感動を生む。無事義経を見送って幕が閉まった時のあの疲労感を伴った感動は忘れられない。(前の幕の『対面』をネチネチ言い過ぎか?)

さて今回の海老蔵は、さすがに当時とは変わっている。富樫の出かたを窺いながら、義経を守るための俯瞰した目を持ち合わせているような心持ちだ。

「山伏問答」でセリフが抑揚をつけすぎてセリフが波打つこと、判官御手で泣きすぎるところは好まないが、立派な弁慶であった。盃を頭に乗せて息を吐くところは、團十郎を思い出した。お父さん譲りの愛嬌だねえ。

 

芝居の魅力は同じ演目であっても、月日が経つと役者も観客も演じ方や見方が変わることだねと改めて感じる一幕となった。

令和元年五月 團菊祭 昼の部(1)

令和に元号が改まっての初観劇。客が呼べる海老蔵だけあって平日でも女性客が沢山。

来年の襲名が楽しみだ。

さて昼の部は、『曽我対面』・『勧進帳』・『め組の喧嘩』と時代物・所作事・世話物と観客へ真っ当で親切な狂言建て。この順番でないとくたびれる。

最初は『対面』。松緑の工藤に、萬太郎の五郎・梅枝の十郎兄弟。この配役は実に感慨深いものがある。というのは自分と同世代の萬太郎が、歌舞伎の根拠地である”歌舞伎座”の本興行でシンと言えるような役を勤めているからだ。

これまで見た五郎役者は、三津五郎吉右衛門橋之助(現・芝翫)・松緑・彦三郎らで、自分にとっては歳上の役者たち。自分もそれだけ芝居を見てきたのだなあ・・の気持ちと、これからは下の世代をシンに据えた出し物が増えること、自身が齢を重ねたことで従来の芝居の個人的見方や質がどう変わって行くのだろうか・・という思いがある。

萬太郎の五郎は、甲声をよく意識して「荒事」の役柄を楷書で丁寧に描こうとしている点が好ましく思った。

ただ筋書きのインタビューで「感情で血気盛んに突っ走っていると、最後まで体力がもちません。力の配分に気をつけながらも、お客様にスカッとしていただけるような五郎を目指して、荒事らしさを全身で表現できるよう勤めたいと思います。」との言葉には、三十歳の若者が体力の配分を考えて芝居をするのかとガッカリ。(ましてや歌舞伎座という地なら、全身全霊をかけるべきでは?せめてインタビューにはそう答えてもらいたかった。それとも私が些か”歌舞伎座”を神聖視し過ぎなのか・?)

これが還暦を過ぎ、何度も五郎を勤めた役者が言うのなら尤もだが・・・。

この一幕を見終えた後に、インタビュー記事を読んだ。なるほど、今一歩敵工藤を目の前にして鬼気迫るものを感じられなかったのはこの心持ちのせいかと納得。

なにか萬屋特有の良く言えばおっとり、悪く言うと消極的姿勢を感じずにはいられない。

 

この幕で嬉しかったことがある。鷹之資の八幡についてで、富十郎ファンとして劇場へ通った学生の頃、鷹之資は幼かった。それが今ではあちらが大学生・・・ご立派になられました。劇中わずかのセリフだが、ちょっと他の人とは違う。ハラが強く、義太夫をよく稽古しているのが一目瞭然。感動のあまり目頭が熱くなった。

右近の虎、米吉の化粧坂歌昇の朝比奈と若手台頭著しい一幕だった。

 

令和元年五月 團菊祭 昼の部(2)へ続く

 

私的・團十郎の思い出(2)

平成20年3月『軍記』の「陣門・組討」に團十郎を拝んでからは亡くなるまで、その芸に接することができた。

印象的だったのは

 

平成20年5月歌舞伎座『青砥稿花紅彩画』の日本駄右衛門

まだ十分に動けて、立廻りに陰りを見せなかった頃の菊五郎の弁天小僧、左団次の南郷、三津五郎の忠信、時蔵の赤星で、「稲瀬川」でズラっと揃ったときの胸がすくような心地よさは忘れられない。確かに賊徒の張本らしい大きさだった。

また、「滑川土橋の場」では、私が最も愛した富十郎が青砥藤綱で下手平舞台、駄右衛門が山門の欄干に足をかけてキマるお定まりの形があるが、富十郎という超一流相手にお互いの気が見事に張り詰めての絵面だった。

 

平成22年1月歌舞伎座勧進帳』の弁慶

成田屋のものだけに悪かろうはずもないけれど、それまでに幸四郎(現・白鸚)の”泣きべそ弁慶”を苦々しく見ていた自分にとり、端々に弁慶のイメージを湛えた無骨さが垣間見え、その上主君大事の情と三塔の遊僧らしい程の良い踊り(器用に踊らず・・要は踊りの流れがセコセコしてない)の成分が渾然一体として弁慶 を体現していた。

 

他にも『極付幡随院長兵衛』の長兵衛も良かった・・・。侠客らしい男ぶりが今でも目に浮かぶ。これも坂田藤十郎のお時、菊五郎の水野と豪華版。

 

團十郎の立派だったのは、顔が大きくて背が低く恰幅も良いという、そのいかにも日本人的体躯による歌舞伎役者らしい・・と言おうか座頭役者としてふさわしい貫目があったことだと思う。

「柄」(先天的特徴)ばかりは、ねだってもどうしようもない。

そうした「見た目」の良さは当時の歌舞伎役者では随一だと思っていた。

 

私的・團十郎の思い出(3)へ続く

私的・團十郎の思い出(1)

今月の歌舞伎座は團菊祭。仕事の一段落つくのが毎年五月で、年内は芝居に行っても落ち着かず・・なので自分にとっての芝居初めは正月でなく團菊祭かな。

 

團菊祭だから、團十郎丈の思い出を綴ろう。

 

物故したのは平成25年2月、66歳だった。自分が社会人になって2年目。金銭的余裕もできてきて、芝居三昧に明け暮れようとした矢先だった。

劇場へ足を運び出した高校生の頃、優は白血病と闘っていた。なので、初めてその舞台に接したのは大学生の時と時間を要した。平成20年3月歌舞伎座軍記』の「陣門・組討」の熊谷だった。

だが白状すると初めての團十郎の舞台であったのに、あまり覚えていない。というのは私の関心は全く坂田藤十郎演じる小次郎・敦盛に向いていたのである。喜寿を迎えてなお艶を失わず、むせ返る色気を誇っていた藤十郎を目に焼き付けたいという思いが強かったのであろう。まァ、しくじったと思いつつも、それはそれで一つの思い出かナ。

だから團十郎演じる熊谷については、「現今これだけ菱皮の似合う役者は、わずかしかいないだろう」というメモしか手元に残っていない。

私的・團十郎の思い出(2)へ続く